株式会社伍魚福 代表取締役社長

出張先より自分自身と家族について2025.06.04(Wed)台湾研修旅行番外編(旧日本勧業銀行台北支店)


この写真の左側の建物が国立台湾博物館土銀展示館です。
台湾博物館本館から道路を挟んだ向かい側にあり、戦後設立された「台湾土地銀行」の旧本店の建物が使用されています。
「土銀展示館」という名称は台湾土地銀行の略称からきています。

こちらの展示館には、恐竜の骨格標本など、古生物が展示されています。

さすが首都台北の博物館。立派な展示がたくさんあり、そちらに興味のある方にはかなり見応えがある展示だと思われます。

銀行の建物なので、1階に立派な「金庫室」があります。
この中には、台湾土地銀行の歴史が展示、解説されています。
この建物は元々日本統治時代の1933年(昭和8年)、日本勧業銀行台北支店として建設(設計は日本勧業銀行建築課、施工は大林組)されたものだそうです。

この金庫自体も、日本の企業(東京・日本橋の國末金庫)が製造したものです。

金庫室の棚もそのまま残されている部分があります。

金庫室の階段です。

金庫室の1階には日本勧業銀行の台湾における歴史についての説明がありました。


台湾土地銀行についてのコーナーには、昔の機械式の計算機が展示されていました。

この計算機も戦前に日本のタイガーという会社が製造したものです。

日本統治時代の歴史も受け止め、歴史の一部として認識し、展示されていることに台湾のお国柄を感じます。

3階には「古蹟修復室」という表記が。
文字だけ見て、遺跡から発掘されたものの修復をしているのかと思い、そのフロアに行ってみることに。
そこには想定外に、この建物自体の説明や、修復の様子が展示されていました。

あとで調べますと「古蹟」というのは日本語で言うと「文化財」のことだそうで、この建物が台北市指定の文化財となっているとのことでした。

日本から漆喰職人を呼んで、天井の漆喰細工を復元する様子がビデオで放映されていました。

そうやって改めて天井を見ると、確かに修復したあとが見えます。
説明を見てから見ると全く見方が異なります。

博物館から出た後、上を見てみたらそこにも素晴らしい意匠が施されています。

終戦後撤退した日本勧業銀行は、1959年(昭和34年)に改めて台北支店を開設。
その後、1971年(昭和46年)、第一銀行と合併して第一勧業銀行になり、2002年(平成14年)、富士銀行、日本興業銀行と合併してみずほ銀行に。

伍魚福は当時の第一銀行長田支店と取引をさせていただいたようです。

当時の写真を以前ブログ記事にさせていただいています。

1971年(昭和46年)、日本勧業銀行と合併した第一勧業銀行長田支店との取引になり、その後みずほ銀行長田支店、長田支店が神戸支店と統合されたあとは、神戸法人営業部と取引させていただいております。

私の名前の「勧」は、昔の屋号「山中勘左衛門」の「勘」から来ているのですが、父からは「勘」だとがめつそうに思われる、ということで「勧」にしたと聞いています。

てっきり、第一勧業銀行と取引があったので「勧」になったと思っていました。

私が生まれた1966年(昭和41年)には、まだ長田にある支店が第一銀行だったとは。
今回のブログ記事を書くにあたって調べて初めてわかりました。

日本勧業銀行がなかったら私の名前も違う漢字になっていたかもしれません。
台北訪問で発見した意外な事実。
歴史があって今がある、ということにあらためて気付かされました。