株式会社伍魚福 代表取締役社長

自分自身と家族について雑感2007.07.29(Sun)酬恩庵一休寺(京都府京田辺市)にて


今日は朝7時出発で家族7名(我が家5名+会長夫妻)そろって京都へ墓参に出かけました。
京都の宇治田原町にある父方の先祖のお墓へ参ったあと京田辺市にある母方の先祖のお墓へ。

そのあと母が子供のころ遊び場にしていたという「一休寺」(京田辺市薪里ノ内、昔は薪村といったそうです)を訪れました。この写真は本堂を門の外から撮ったものです。

私も子供のころ行った覚えがあります。たぶん30年以上前になるのでしょう。
一休さんはテレビの漫画でも有名です。最近その主題歌がリバイバルされてたまにラジオで流れています。

酬恩庵一休寺は元の名は妙勝寺といい鎌倉時代に建立されたそうです。1455年~56年に開祖の6代目のお弟子さんだった一休禅師が再建してその晩年をすごされた場所です。

一休さんといえば、とんちが有名です。これにちなんだ橋も境内にあります。

後小松天皇のご落胤として1394年に生まれ、6歳で出家し、25歳のときに「一休」の号を授かったそうです。63歳でこの薪村に酬恩庵を結び、74歳では応仁の乱を経験、81歳で京都の大徳寺の住持となり再建に尽くし、88歳でここ酬恩庵一休寺で亡くなりました。

臨済宗の高僧でありながら、詩や狂歌、書画に通じ、奇行を重ね「風狂の人」といわれた一休はそのイメージから民衆文化の中でとんちの一休さんとして親しまれていったのです。

実際には漫遊していない水戸黄門さんの漫遊記が書かれたりしたのと同じような経緯ですね。

境内にある一休さんのお墓は「宗純王」(皇子)の墓として宮内庁が管理しています。

墓参りをするといつも思うのですが、今こうやって存在していることがいかにすごいことか。今生きている人類のすべてが、何百万年前から親から子へ、親から子へ、と命をつないできたのです。当たり前すぎて普段意識することはありませんが、どこかで途切れていたら自分自身の存在はないのです。

我々もまた親として子へ、そして孫へ・・・。大切な命を受け継いでいかねばならないですね。