株式会社伍魚福 代表取締役社長

「食」全般くぎ煮資料室地域・社会とのかかわりについて2026.01.30(Fri)いかなご「釘煮」大正3年(1914年)の文献発見

過去に入手した文献(「滋味風土記」魚谷常吉著、昭和10年(1935年)11月発行)に基づく以前の私の考察では、昭和10年以前にいかなごを醤油と砂糖を中心とした調味料で煮詰める「釘煎り」(くぎいり)という料理があり、それが「煮る」という一般的な言葉に置き換わり、「くぎ煮」と呼ばれるようになった、と結論づけていました。

ところが、大正3年(1914年)3月3日発行の「大日本水産暦」(水産新報社出版部編纂)という文献の、いかなごの項目に「釘煮」という用語が使われていることが判明しました。
「釘煮」を「くぎに」と呼ぶのか「くぎだき」と読むのかは不明ですが、くぎ煮の歴史を大きく見直すこととなる発見です。

なお、本稿の書籍画像は、全て国立国会図書館デジタルコレクションからの引用です。

本文の説明をこちらに転記します。
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魚貝類の旬と食用法
[編者曰]魚貝類は節季と棲息の場所とによりて自ら其味ひ(あじはひ)を異にするものである。即ち魚類の旬(じゅん)とは肉に脂肪多く且つ肉量豊富にして年中味ひ(あじはひ)最も好き節季を指すのである。本書は魚貝類の食用節季及其産地等の関係に就き数十年間研究を遂げられたる前農商務省水産講習所長松原新之助氏に特に乞ふて魚貝類一百余種の食用節季及び是れが簡易なる料理法に関する項を抄録すること以下の如くである。
附記 季間を示せるは即ち「旬」(じゅん)なり
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同じページに「いかなご」についての記述があります。
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▲いかなご(二、三月)酢物、釘煮
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説明によれば、明治から大正にかけて活躍した水産学者、生物学者で、水産講習所(現在の東京海洋大学)の初代所長を務めた松原新之助氏(まつばら しんのすけ、嘉永6年(1853年)〜 大正5年(1916年)2月14日))が編集部に情報提供した魚介類の「旬」と「簡易なる料理法」です。

Wikipedia(2026年1月20日閲覧)によると、松原新之助さんの生涯と著書は次のとおりです。
生涯
出雲国松江藩の松原友益の長男として生まれる。諱は友摂。字は儀卿。瑜州と号した。松江藩医の山本泰安に本草学を学ぶ。1871年、19歳の時に藩費生として上京し、英語・ドイツ語を学ぶ。
1872年、東京医学校に入学し、ドイツ人教師フランツ・ヒルゲンドルフに近代生物学を学ぶ。1876年から東京医学校、1878年から駒場農学校で動植物学の講義を行った。その傍ら農務局御用掛を兼務した。1879年から2年間ドイツ帝国に留学し、1880年にはベルリンで開かれた「国際漁業博覧会」に日本国として初めて参加した。その後もベルリン大学で水産動物の研究を行った。
帰国後は、農商務省技師となり、1888年に一高の教授に就任する。水産講習所設立に尽力し、1890年から1911年にかけ初代所長を務めた[1][2]。大正5年2月14日没。墓所は谷中霊園。

著書
『植物名称一班』
『植物綱目提要』
『水産養殖学教科書全』など

この「大日本水産暦」の奥付は次のとおりです。
大正3年2月28日印刷
大正3年3月3日発行
定価金75銭
発行兼編集人 有馬輝昭(大阪市北区梅田町)
印刷人 久下平三郎(大阪市北区東梅田町)
印刷所 精華社(大阪市北区東梅田町)
発行所 水産新報社出版部(大阪市北区梅田町)

「大日本水産暦」のタイトルページに記載のある方は、当時の水産関係の重鎮です。
松原新之助氏とともに「題字」を書かれている松崎壽三氏(農商務省水産局長)は、後に日本水産の初代社長を務められた方です。
松原新之助氏と共に「校閲」をされた梶川温氏は、明治期に農商務省の技師を務められた方で松原氏ともに水産業界の「三元老」とも呼ばれた方です。

これら明治・大正の水産界の錚々たるメンバーによって監修された「大日本水産暦」の読者層は、掲載されている広告からもわかりますが、漁業、水産業に関係するプロフェッショナルです。
また、この読者層であれば「釘煮」の表記だけでどのようなものかが理解できると松原新之助氏、並びに編集者が考えたということなのでしょう。
発行しているのが大阪に本社を置く水産専門紙の会社であったこともその要因かもしれません。

もともと漁師の家庭料理だった「釘煮」。
大正時代から「くぎ煮」を作って食べていたという長田の友光喜代子さん(大正7年生まれ)の証言を裏付けるとともに、松原新之助氏が活躍されていた明治時代にも「くぎ煮」が親しまれていたことを示す文献と言えそうです。