株式会社伍魚福 代表取締役社長

くぎ煮資料室商品について地域・社会とのかかわりについて経営について2013.10.02(Wed)「いかなごのくぎ煮発祥の地」石碑除幕式

20131002komagabayashi01.JPG「いかなごのくぎ煮発祥の地」の石碑が本日神戸市長田区駒ヶ林町、駒林神社大鳥居前に建立されました。
阪神大震災により倒壊した駒林神社の大鳥居が19年ぶりに再建されるのに合わせて、いかなごのくぎ煮振興協会の奉納により、建立されたものです。
私はこの協会の事務局長を務めております。
毎年長田地区で開催している「いかなごのくぎ煮コンテスト」、「いかなごのくぎ煮文学賞」も協会として開催し、伍魚福が事務局を務めています。
20131002komagabayashi02.JPG序幕は駒ヶ林浦漁業会の会長で神戸市漁業協同組合副組合長理事の尻池巌さんと私で行いました。
いかなごのくぎ煮の発祥については諸説あります。
昭和10年に出版された「滋味風土記」(魚谷常吉著)の中にある「釘煎」の記述の中に、おいしいいかなごの「釘煎」を手に入れたければ、駒ヶ林の漁業組合か、垂水の魚市場に、という記述があります。
文献上は長田も垂水もどちらも同じくらい古く、長田もくぎ煮発祥の地のひとつである、というのが以前からの私の主張です。
尻池会長に伺った話では、駒ヶ林では昔底引き網でいかなごを獲っていたので、海底にいるいかなごの親魚(フルセ)が獲れ、これを昔から炊いていたそうです。
これに対して垂水では、こませ網という潮の流れに乗ってきた魚を網で獲るという漁法だったため、稚魚(シンコ)が獲れ、これを炊いていたとのことです。
20131002komagabayashi03.JPG本日行われた「潜初祭」の様子です。
駒林神社の方に伺いますとなんと1000年以上前から駒ヶ林ではいかなご漁が行われていたそうです。
今回の石碑の前に設置された「由来文」には次の通りかかれています。
~いかなごのくぎ煮発祥の地~
いかなご漁は一千年以上前から駒ヶ林で行われている。
かつてこの碑のある地点までが砂浜であったころ、この砂浜では左義長祭が行われていた。東西がそれぞれのお山を上げ、神社から出た行司のお山の前にて倒しあいをし、勝った方が網入れの優先権を得る。そして底引き網にていかなご漁が行われた。
左義長の始まりは平安時代の永延二年(九八八)と伝わっており、遅くともその頃にはいかなご漁が始まっていたことが伺える。底引きで捕られるいかなごは成魚となったフルセである。平安時代、駒ヶ林には玄蕃寮(現在の税関にあたる)の出先機関があり、大陸との外交の要所であった。そのことから当時は希少な砂糖がすでに出回っていたと思われる。そしていつしかこの地ではいかなごを砂糖と醤油、生姜で炊いて食し始めた。
いかなごのくぎ煮振興協会はこれらの歴史を示すべく浜に面した此の地に石碑を建てた。
—————–以上引用———————
20131002komagabayashi04.JPG地域の皆さんの思いも込められた石碑です。
地元駒ヶ林浦漁業会、神戸市漁業協同組合にも了解いただいて正式に建立されたことがとてもうれしいです。
1000年以上も前からいかなごが獲られていたという事実。
砂糖と醤油で魚を炊くのは普通の煮魚の手法ですので、ひょっとすると平清盛も食べていたかもしれませんね。
地元に伝わる食文化としての「いかなごのくぎ煮」。
今後も大切に守り育てて行きたいものです。
20131002komagabayashi05.JPG式典終了後、神社の境内では甘酒や綿菓子が振舞われ、伍魚福も「豆菓子つかみ取り」を行いました。
地域の皆さん約50名に楽しんでいただきました。
今後も地域の皆さんと連携して「いかなごのくぎ煮」を盛り上げていきたいです。
ご縁に感謝です。