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2021.04.28「第10回 いかなごのくぎ煮文学賞」入賞作品

「第10回 いかなごのくぎ煮文学賞」には過去最多の3,545作品の応募がありました。たくさんのご応募、ありがとうございました。審査の結果、以下の通り入賞作品を決定しました。

 

【グランプリ】
三郎 さん(千葉県・男性・71歳)
詩:春の定期便

オフクロの通夜、
茶箪笥の中から何冊もの家計簿兼日記の大学ノートが見つかった。
弟には『十万円送ル』、俺には『野菜送ル』
――俺が東京で学生生活を送っていた頃の記述につい僻む。

オヤジが事故死した後、
案山子より貧相な野良着で、
鍬を男のように振るって一人で田畑を耕し、
現金収入の半分以上を弟に送っていたらしい。

『今日モ北風ガ冷タイ。微熱ガアルガ、息子達ニ送ル野菜ヲ収穫ニ行ク。身ノ丈ニ合ッタ幸セデ十分』
『手術跡ガ痒イ。マタ今年、イカナゴノ季節到来。クギ煮ヲ炊イテ息子達ヘ春ノ便リ』
――ページを繰るごとに、僻んでいた心に春風が吹きつける。

傍らで一緒に読んでいた妻が嗚咽した。
「あなたとあなたの学費を稼ぐ私への、
心尽くしの送り物だったのね、
キャベツもふきのとうもクギ煮も。
同棲などしているロクデナシの息子にお金は送れない。
それに弟は医学生、
あなたは小説家にはなれそうもない文学部、
差をつけられても仕方なかったのよ」

春になると届いたオフクロ作のクギ煮の味を思い返しながら、
私は心の中で遺影に囁く。
<あのな、かつてオフクロが「あの女」呼ばわりした女が、
死に顔を見た途端、号泣したんだゼ。
「お義母さん、痛かったのね。こんなに顎が曲がってしまって!」と>

〈三田完・特別審査委員長講評〉
亡くなった母親の遺した大学ノート─その記述を読みながら、過去のあれこれが息子の胸中に巡ります。きれいごとではすまぬの葛藤があったかつての日々。そして今、通夜の席で息子は恩讐を超えた思いを抱きます。春になると母から届いたくぎ煮の思い出とともに。

 

【準グランプリ】
チェミ〈1985〉 さん(埼玉県・男性・35歳)
エッセイ:母のくぎ煮

休日の朝に私は米を炊く。
休日の朝、私は自然に目を覚ます。
休日とはそういうものだからだ。
自然な睡眠をとらなくては休日の意味などない。
二月の水道水で雑菌だらけの口腔をゆすぎ、すでに十全ではない歯を磨き、花びんの水を換える。
玄関の外にある屈強な洗濯機を回す。
米は田舎の弟が贈ってくれたものを量る。
一合二合などというみみっちい量ではなく、炊飯器の限度量まで米を研ぐ。
米というものは大量に炊けば炊くほど美味いに決まっているからだ。
指の先が千切れる冷たさの水を釜に注ぎ、米を混ぜ流す。
揉まない。
男の力は米研ぎには必要ではない。
撫でるように時間をかけることだけで、美味い米に不要なものは自ら剥がれて流れ落ちていく。
ボタンを押してからの四十七分。
私は洗濯物を一から十まですっかり干し切ってしまう。
そしてピイピイと鳴く炊飯器から若い女のような米の粒たちをひとすくいずつ冷凍用の容器に移し、流し台の上に生徒のように順に並べていく。
釜にのこった最後のひとすくいの米を、私は夜気に冷えたままの茶碗に移す。
炊飯器を洗い、即席の味噌汁を用意し、湯気が納まり引き締まった米の粒の一つひとつを確認した後に、亡き母の冷蔵庫から取り出すのがくぎ煮だ。

〈三田完・特別審査委員長講評〉
休日の朝、米を炊く-ただそれだけのことですが、男子厨房でなすべき作法と、作者の文章作法が一体化し、思わず唸る一文です。作者が語るのはあくまでも米のこと。しかし、ラストにくぎ煮が登場し、読者の口に唾が湧いてきます。

 

【郵便局賞】
粟野和美 さん(福井県・男性・73歳)
短歌:いかなごの くぎ煮送りて はげまさん コロナ禍一人 暮らす息子に

〈三田完・特別審査委員長講評〉
応募作全体を通じて、この短歌ほど郵便局賞にふさわしい作品はない…と思いました。遠く離れた家族への思い-その象徴がくぎ煮です。

 

【特選(俳句)】
関とし江 さん(埼玉県・女性・75歳)
俳句:腰で持つ鮊子の鍋母若し

〈三田完・特別審査委員長講評〉
毎年春、イカナゴを煮るときに使う大きな鍋。小手先では持てない重さです。今年も矍鑠とくぎ煮を作る「母若し」が嬉しい。

 

【特選(短歌)】
洒落 さん(兵庫県・男性・58歳)
短歌:タッパーのくぎ煮つまめば想い出す手首に輪ゴム巻いてた母を

〈三田完・特別審査委員長講評〉
「手首に輪ゴム」が多くの読者の共感を誘うと思います。くぎ煮の味は母の味-毎日の家事で荒れたその手が眼に浮かびます。

 

【特選(川柳)】
あーさまま さん(大阪府・女性・62歳)
川柳:母さんのくぎ煮一年予約待ち

〈三田完・特別審査委員長講評〉
春だけ味わうことができる母の味-それを「一年予約待ち」と表現したところに川柳の妙味が。

 

【特選(詩)】
中原賢治 さん(岐阜県・男性・67歳)
詩:くぎ煮の缶詰

「くぎ煮がたべたいよ」
夕食を食べたことも忘れた
祖母が少年の僕の背に懇願する
「今時くぎ煮なんか」
「いやいや料理屋向けの缶詰があるそうよ
不二屋まで行って買ってきておくれ」
時計は午後九時過ぎ
季節はずれ 時刻はずれ
雑貨の不二屋は大通りにあって
けっこう遠く夜道はこわい
明日の算数のテスト勉強をしなくては
不二屋はもう閉店しているはずだ
くぎ煮の缶詰など売っているのか
祖母の古い匂いが僕を抱く
「もう遅いから嫌だ」
苛立つ僕のことばに
「可愛くない孫だよ」
祖母のいまいましいことばが
寝床までついてきた
翌日の算数のテストの間じゅう
頭の上にぶら下がったくぎの缶詰が
答えを書かせてくれない
「食べたいよ 買ってきておくれ」
耳元で祖母がささやく
学校帰り不二屋に寄った
「そんなしゃれた物はうちにはないわ」
つっけんどんの店主のことばに
僕はむしょうに腹が立った
「しゃれた物なんか くぎ煮ってやつわ」
確かに不二屋にはない
僕の頭の上でまだゆれている
くぎ煮の缶詰を空に放り投げた

〈三田完・特別審査委員長講評〉
現実にはどこにも売っていない〈くぎ煮の缶詰〉。それは食事したこともすぐに忘れてしまう老いた祖母の妄想の産物です。記憶が朧になった日々とはいえ、祖母の舌にはくぎ煮の味が鮮明なのでしょう。

 

【特選(エッセイ)】
1年目のくぎ煮 さん(兵庫県・女性・30歳)
エッセイ:おにぎり

実家から電車で20分。背伸びをしたくて始めた一人暮らしも今年で5年になる。
週末になるたび帰っては、母がなんだかんだとおかずを持って帰らせて、家にはタッパーが山積みに。

しかし、今年の春から沖縄に単身移住する。
電車で何分の距離感から、飛行機で2時間に。
沖縄に行くまでに顔を出せるのは、今日が最後と思いながら実家に向かう。
勝手口から入ると、いつもと同じように台所に立つ母と目が合う。
「あれ、今日帰ってくるって言うとった?」
「いや、荷物取りに寄ってん。もう沖縄行くから、寄れるんは今日が最後やわ」
沖縄に行くなんて大したことない。そう思ってあえて出した「ふらっと行ってきます」感が、逆にぎこちない。

「くぎ煮炊いたん持って帰る?」
よく見ると鍋いっぱいの茶色。
懐かしいね、何キロ?、高かったんじゃないの。そんなことを言う前に、「いや、もうタッパー持って帰ってこれないからいい」
一瞬、しまった!と思う私。
「でも」
「おにぎりにしてくれたら持って帰るよ」

それを聞いて夕飯の準備を後回しに、熱々の米にくぎ煮を入れて握る母。
「いいよ、自分で出来るよ、忙しいでしょ」と言うと、
「別に、これくらい」と、母。
「そうだね、せっかく一人娘が甘えてきてるんやものね」と調子に乗ると、「そうやね」と一言だけ返ってきた。
持ち帰り、夜に食べる頃には熱々の米の蒸気をたっぷり吸って、久々に食べるくぎ煮は驚くほど柔らかくなっていた。

〈三田完・特別審査委員長講評〉
この春から遠方へ単身赴任することになった作者。そんな娘に心づくしのくぎ煮を炊く母。さりげなく、しかし濃密に家族の思いが伝わってくる文章です。

 

【いかなごのくぎ煮振興協会賞】
齋藤俊幸 さん(長野県・男性・63歳)
俳句:北斗星向き変わるまで釘煮煮る

〈山中勧・いかなごのくぎ煮振興協会事務局長(株式会社伍魚福社長)選評〉
北斗星の向きが変わる夜中までたくさん炊いておられた時代を思い起こささせれます。夜中に炊いたほうがガスの火力が強いという都市伝説(以前のくぎ煮文学賞応募作品より)もあります。

 

【いかなごのくぎ煮振興協会賞】
増田敏夫 さん(岡山県・男性・81歳)
川柳:カモメから逃れくぎ煮になりました

〈山中勧・いかなごのくぎ煮振興協会事務局長(株式会社伍魚福社長)選評〉
いかなご漁の船の周りには、水面付近のシンコ目当てにたくさんのカモメが集まります。いかなごの不漁でカモメも寂しい思いをしているかもしれませんね。

 

【いかなごのくぎ煮振興協会賞】
仲川浩 さん(愛知県・男性・60歳)
エッセイ:名物にうまいものあり?!

「神戸名物いかなごのくぎ煮をお送りします。ご家族でお召し上がりください」
明石の叔父から、ある日、何の前ぶれもなく、「いかなごのくぎ煮」が送られてきた。中を開けると「小女子の佃煮」が入っていた。
「なんじゃ!こんなものたくさん送ってきて」
母は吐き捨てるようにそう言った。
「ご近所に配るか?」
と私が言うと、女房が、
「うちでも手に余るものをご近所に配るのも気が引けるから、食べたと思って捨てましょう。それに新しい釘で煮てあるものならまだしも、赤さびの浮いた古釘なんか煮込んでいたらどうするの」
確かに女房の言うとおりだった。「いかなごのくぎ煮」というネーミングに、釘と一緒に煮たものという偏見を抱いてしまった私たちは、いかなごのくぎ煮を捨てることにして、送ってきたそのまま、それをテーブルの上に放っておいた。
息子が小学校から帰ってきた。誰もいないキッチンでおやつを探していたが、何も見つからないため、テーブルの上にあったそれを一つまみ。
「美味い!」
テレビを見ながら十分の一ほどを平らげてしまった。買い物から帰った女房は息子を見てびっくり!
「あんた、これ食べたの?」
女房の剣幕にびっくりした息子は泣き出した。
用事を済ませ、帰って来た私に、女房が慌てて事情を説明する。
二時間ほど経っても長男は腹の具合が悪くなかなかった。私は息子に
「おいしかったかい?」
と問うと、息子は素直にうん!と返事をした。夕食時、炊き立てのご飯に少量のいかなごを乗せて食べると、そのうまさにびっくりした。
結局、送られてきたいかなごのくぎ煮は一週間ほどで食べ尽くし、家族中がそのとりことなった。
その後、明石の叔父に、いかなごのくぎ煮のうまさを初めて知ったこと、また良かったら送って欲しい旨を力説する電話をしたところ、今年は(いかなごの季節は)もう終わりました。また来年ね、という返事をもらった。
今となっては、早くいかなごの季節が来ることを待ち望んでいるわが家である。

〈山中勧・いかなごのくぎ煮振興協会事務局長(株式会社伍魚福社長)選評〉
予備知識なしに「いかなごのくぎ煮」が送られてきたら、確かにさっぱり分からないでしょう。釘と一緒に煮込んでいるという誤解もあるようですが、そんなことはありませんので。

 

【いかなごのくぎ煮振興協会賞】
おたんこナース さん(兵庫県・女性・44歳)
エッセイ:くぎ煮を見れば思い出す

「私の隠し味は、カンロ飴やねん」
何年も同じ曜日、同じ時間に通院してくる腰の曲がったおばあちゃんは、まだ肌寒く春というにはまだ早いこの時期になると、嬉しそうに毎年同じ話をしてくれる。
私はまた季節が一周したことを彼女の話からしみじみ思い、また疎ましくも感じるのだった。毎年、まるで初めて話す話題かのように、彼女はいちから丁寧に話し始める。
彼女の腕に消毒をし、処置を終えて、注射の針を抜き終わっても、なお話し続ける彼女の話を、私には最後までゆっくり聞く時間がないのである。積み上げられたカルテに目をやりながら、話を切り上げるタイミングを伺い、相槌をうつ。
早朝からスーパーに並び、とれたてのイカナゴを苦労して手に入れること。家には大きな鍋が二個あること。近所の人に頼まれて作ることもあり、鍋を何度も何度も返すことで腱鞘炎になること。出来上がったくぎにを喜んで食べてくれる家族や友人のこと。そして、隠し味の秘密を大きな声で毎年教えてくれる。
もちろん私は彼女の作ったいかなごのくぎにを、一度も食べたことは無い。
「本当にすごく大変やけどな、みんな待ってるからな、せなしゃあないねん」
誇らしげに話す彼女の生きがいを、私まで嬉しく感じるものだった。
「私も今度、チャレンジしてみようかな」
社交辞令のような私の返事に、彼女は満足した様子で処置室を後にするのだった。
作り方も何度も聞いたのに…

ある日突然、院長から彼女が急死したことを聞くこととなる。自宅の椅子に腰掛けたまま、居眠りでもしているかのように、それは安らかを絵に描いたようだったそうだ。

時は何もなかったかのように流れて、毎年この季節がやってくる。茶色く錆びた釘のような、イカナゴのくぎ煮がスーパーに並ぶと、彼女の話を思い出して、私は鮮魚コーナーに移動する。大きな食品トレイにビッチリとラップされたイカナゴを前に、
「えげつない生姜の量を刻み、ごっつい量のカンロ飴がいるんやで」
彼女の声が脳裏に浮かんでくる。何一つ具体性のないレシピにふふッと笑いがこみ上げて、きっちり分量も教えてもらって、メモしておけばよかったと後悔をする。
「いかなごのくぎ煮は各家庭で味が違うからな、作り方に正しいやら違うやらあらへんねん。あんたが作ったら、それがあんたの家庭の味になるんやで」
そんな優しいことも言ってたか。
いつか自分でくぎ煮を作って、自分の家庭の味が作れたらいいと思う。

今年もまた、彼女のことを思い出す。

〈山中勧・いかなごのくぎ煮振興協会事務局長(株式会社伍魚福社長)選評〉
毎年自分のくぎ煮の話をする患者さん。一度も食べたことがないのに、強烈な思い出として残っている。思いは確かに伝わり、受け継がれていきますね。

 

【いかなごのくぎ煮振興協会賞】
大福ママ さん(大阪府・女性・57歳)
エッセイ:春のお届け

大阪の鮮魚店に生のいかなごが並ぶようになったのは、阪神大震災の影響だと母は言った。震災の二年ほど後だったろうか。当時、六十路の母に頼まれて、梅田のデパートにいかなごの買い出しに付き添った。いかなごはキロ単位の箱売りだったので、小柄な母には重く、私は荷物持ちとして駆り出されたのだ。
「くぎ煮用の醤油と砂糖はもう買ってあるから」と、母はいかなごだけを四箱買った。この買い出しに三回ほど行った記憶があるから、母は全部で十数キロのくぎ煮を作っていたはずだ。
「春のお届け」と言って、母は親類や友人らにくぎ煮に炊いては配っていた。家の中は醤油と砂糖を煮詰めた甘辛い匂いが充満していた。
生姜と山椒の実を控えた小さな子供から、お年寄りまで食べやすい優しい甘辛いくぎ煮。神戸育ちの母の作るくぎ煮は、ご飯のすすむ常備菜として毎日食卓に上がった。
かつては大阪に出回らなかった生のいかなごが買えるようになった。親類の家が全壊し、パジャマのまま、半日歩いて大阪に辿り着いてきた震災が起こったから。このことを知った時、私はくぎ煮を食べられなくなった。大学も会社も神戸だった私には、神戸の知人、友人も多い。神戸の人達が食べられなくなったいかなごが回ってきたのでは、と想うと胸が痛んだ。
でも、本当は母のように、いかなごや神戸のものを買うことが神戸の経済を動かし、結果的に神戸の街を支援することになるのだと思う。
今も春になっていかなごを見かける度に、あの頃のことを思い出し、何かがちくっと心に刺さる。くぎ煮を炊いていた母もすっかり年老いてしまった。コロナ禍で今はできないけれど、いつか母にくぎ煮を炊いて届けたい。母にように。「春のお届け」と言いながら。

〈山中勧・いかなごのくぎ煮振興協会事務局長(株式会社伍魚福社長)選評〉
阪神大震災の際のいかなごの流通がどうなっていたのか、私自身は実感がありませんが、大変貴重な証言です。くぎ煮経済圏、不漁にコロナで大きな打撃を受けていますが、我々も頑張ります。

 

【いかなごのくぎ煮振興協会賞】
嶋田隆之 さん (兵庫県・男性・59歳)
詩:あんた、これ好きやったやろ

「あんた、これ好きやったやろ」
祖母はそう言って私に
いろいろな物をくれた
それは
ある時はゼリービーンズ
祖母は私の幼い頃の事を覚えていて
でも祖母にとっての私は
いつまでたっても幼いままで
原色の砂糖菓子をもらった高校生は
苦笑いするしかなかった

私が結婚してからも
祖母の贈り物は続いた
買い物帰りにアパートへやって来て
「二人で食べ」と言って
ローストビーフを
「今晩はこれにしとき」と
ウナギを
「今年も炊いたから」と
イカナゴのくぎ煮を持ってきてくれた

祖母のくぎ煮はフルセのくぎ煮
ワカサギか、と思えるほどの大きさで
折れた腹から骨が飛び出していた
それが鉢いっぱいで
しっかり魚を食べた気分になれた
そしていつも必ず
「あんた、これ好きやったやろ」が
ついてきた

今年もイカナゴ解禁のニュースを聞く
「今年も高いねぇ」
「でもやっぱり春やから、食べたいよねぇ」
妻と話すうちに思い出すのは
祖母のくぎ煮
テカテカのフルセで
飛び出した骨までテカテカで
ローストビーフやウナギと肩を並べた
「あんた、これ好きやったやろ」の
祖母のくぎ煮
「あれは五寸くぎやったな」
そう言って二人で笑う
「あれ、好きやったなあ」
そう呟いた言葉が
祖母への返事に思え
遅すぎた返事に
さびしく 悔しく笑った

〈山中勧・いかなごのくぎ煮振興協会事務局長(株式会社伍魚福社長)選評〉
亡くなったおばあちゃんの口ぐせ「あんた、これ好きやったやろ」。フルセ(親魚)のくぎ煮だったということは、長田区にお住まいだったのでしょうか。

 

【いかなごのくぎ煮振興協会賞】
森美翠 さん(兵庫県・女性・中3)
詩:いかなごのおもいで

昔、なんていうほど長く生きているわけではありませんが
薄霞みたいにしか思い出せない記憶の中に
いかなごのくぎ煮はあります

気付いたときには食べられなくなっていました
おいしかったなあ また食べたいなあ なんて

祖父母の家の食卓に、ずらりと並ぶ
くぎ煮のタッパー
伊予間の皮が入ってるのが裏のおばあちゃん
めっちゃ甘いのがじいちゃんの
生姜が入ってるのが親戚のおばさんから
さんしょは、おかあさんの

おすそわけ「つくりすぎてん」「あっうちもよぉ」「よかったら食べて」
交換やん
おすそわけの意味あるんか つくりすぎたんやろ?と
幼いながらに突っ込んでいましたが

くぎ煮のおすそわけは
いつもありがとうのおすそわけでも、あったのでした

薄霞みたいにしか思い出せない記憶の中ですが
いかなごのくぎ煮の味と香りは 鮮明に 思い出せるのです
飴色に艶々、香ばしい醤油と砂糖のにおいに
涎が口の中にぶわっとひろがる
ごはんの熱くてしろい湯気
はふはふ
甘辛くてしなやかに柔らかくて
山椒が、すうっ
いかなごのくぎ煮が色付けるみたいに、家族の、笑顔も

ちいさなおもいで 祖父と散歩、甘辛いにおい あ、となりいかなご作っとうわ
箸で、ちぎれた小さないかなごの頭をつかみ、じっとみる従兄
いかなごを煮る祖母の背中 歌うように揺れて
山椒だけよける姉
楽しかったあの日のおにぎりの、具。
写真みたいに切り取られて、私の心の一部になっています

いかなごが少なくなるみたいに、この記憶も塗り替えられることなく
うすまっていくなら、なんだか悲しい気がするのです

今年も春が来ました
今年も不漁 いちきろさんぜんえん

来年は、来年は、
おなかいっぱい食べられることを
こころから 願っています

〈山中勧・いかなごのくぎ煮振興協会事務局長(株式会社伍魚福社長)選評〉
中学3年生にとっては、確かに物心ついた頃からいかなごは不漁だったはず。それでもいろんな方のいろいろなレシピのくぎ煮の記憶が残っている。地域の食文化を残していきたいものです。

 

【いかなごのくぎ煮振興協会賞】
げんき さん(埼玉県・男性・小2)
詩:さん数

ママにもんだいを出したよ。
『ぼくが4キロくぎ煮をたきました。
弟が2キロほしいと言いました。
さて、くぎ煮は何キロ
のこってるでしょう?』

ママは2キロって言ったけど、
せいかいは4キロです。
なぜかって?
おいしいからあげたくないんだもん。

〈山中勧・いかなごのくぎ煮振興協会事務局長(株式会社伍魚福社長)選評〉
小学校2年生がお母さんに出したかわいいいじわる問題。おいしいくぎ煮はみんなで分けて食べるものなので、広い心で弟さんにも分けてあげてくださいね。

 

《ジュニア部門》

【グランプリ】
やきいも さん(兵庫県・女性・小5)
詩:ふりょう

どうやらいかなごはワルらしい
どうワルいのかはよくしらない
でも大人がうわさしているからしってる。
「今年もふりょうらしいで」と

先生の言うことをむしするのかな?
しゅくだいをしないとか?
学校をずるやすみしてるのかな?

ふりょうのいかなごも
くぎになるとメチャメチャおいしい
ということは
イイ子のくぎにはもっとおいしいのか!

妹は不漁のことを不良とかんちがいしてる
あほやなと私は思う
「今年もふりょうらしいで」と言ったら
「いつになったらイイ子になるんやろ?」
妹は悲しそうな顔をして言った

私は意地悪やからちゃんと教えてあげへん
でも「来年は大漁やったらいいな」と
ヒントをあげた
いつ妹はまちがいに気付くんやろう

くぎには、あまくておいしい
妹は、おもしろくてかわいい
私はどっちも大好きや
そう思いながら
くぎにを口いっぱいにほおばった

〈三田完・特別審査委員長講評〉
「不漁」と「不良」の区別がつかない妹。そんな一家の会話が楽しく伝わってきます。

 

【準グランプリ】
まりっぺ さん(埼玉県・女性・高2)
エッセイ:母の「酔えん」

5年生の時、4泊5日の自然学校があった。行き先はハチ高原。だが、私には一抹の不安が過る。それはバス酔い。何せ自家用車でさえ三十分で酔ってしまう。それが大型のバスで、さらに二時間も乗るとなったら、考えただけでも吐き気がしそうだった。
「おなか痛い」
前日の夜、私は嘘をついた。だけど、母は「いいから今日は早く寝なさい」と聞く耳を持たなかった。キッチンでは翌日のためにくぎ煮が炊かれる。あの鍋いっぱいのくぎ煮を食べたら、お腹を壊して林間学校を欠席できるだろうか。そんなバカなことまで考えた。
しかし、出発の朝はやって来た。同時に憂鬱な気持ちも沸いてきた。
「はい。今日のお昼ごはんね」
大きなくぎ煮むすびを入れると、たちまちリュックは不安で膨れた。
「あと、これ、ね」
母がちいさな巾着袋を差し出した。聞けばお守りだと言う。
「酔えん、酔えんって、自分に言い聞かすのよ」
そして、ついにバスが出発の時刻に。
「酔えん、酔えん」
私は祈った。願った。信じた。
きっとすぐだ。もうすくだ。もう少しなんだ。そう言い聞かせ、巾着袋をギュッと握った。

「さあ、もうすぐハチ高原が見えて来ました」
乗車すること二時間。ついにこの瞬間がやって来た。私は安堵のあまり、手に握っていた巾着袋を落とした。するとチャリンと音がする。中を開けてびっくり。一円玉が1、2、3、4枚。
「四円……まさか酔えん?」
途端に母の顔が浮かび、嬉しくなった。高原で食べたくぎ煮のおにぎりは、何だかまるい味がした。そこに母がいるような、そんなやさしい味だった。
想像通りの苦しさだったが、感動も想像以上。帰ったら母に言おうと思った。
「お母さん、くぎ煮のうまさに酔っちゃったよ」

〈三田完・特別審査委員長講評〉
乗物に酔ってしまいがちな主人公の切ない思いを記したエッセイ。オチが楽しい。

 

【特選】
横溝麻志穂 さん(宮城県・女性・高1)
短歌:できたての春の光をありったけ集めいかなごぷるりと舌へ

〈三田完・特別審査委員長講評〉
春光を集めたシンコが「ぷるりと舌へ」。読むとお腹が鳴ってくるような短歌です。

 

《三田完・特別審査委員長総評》
10回目を迎えた文学賞、3,545篇とこれまでで最多の応募がありました。応募数が多いだけでなく作品のレベルも上がって、本格的な文学賞になってきた印象があります。
今回はとりわけ詩部門とエッセイ部門に秀作が多く、審査していて目移りがするほどでした。また、働く女性の作品が眼を惹きました。
新型コロナウィルスのせいで在宅時間が増え、不漁のイカナゴに思いを馳せる時間が増えた、ということでしょうか。ジュニア部門への応募も頼もしいかぎりです。
たくさんの方たちが応募してくださったくぎ煮の世界─そこには、春光に潑剌と映える稚魚(しんこ)の輝きとともに、ほどよく苦味や硬さのある成魚(ふるせ)の味わいもあります。

《事務局より(山中勧・いかなごのくぎ煮振興協会事務局長)》
今年で第10回を迎えた「いかなごのくぎ煮文学賞」。全都道府県から過去最多の3,545作品の応募をいただきました。10回の総作品数は19,165。皆さんのご支援に感謝しかありません。いかなご漁は不漁が続きますが、その分「くぎ煮」についての思いはつのります。熱い思いを後世に語り継ぐための一助となれば幸いです。

 

【過去の入賞作品】
第9回 いかなごのくぎ煮文学賞
第8回 いかなごのくぎ煮文学賞
第7回 いかなごのくぎ煮文学賞
第6回 いかなごのくぎ煮文学賞
第5回 いかなごのくぎ煮文学賞
第4回 いかなごのくぎ煮文学賞
第3回 いかなごのくぎ煮文学賞
第2回 いかなごのくぎ煮文学賞
第1回 いかなごのくぎ煮文学賞